1905年当時、シカゴは、商業の爆発的発展、社会不安、政治の腐敗…、高層ビルがそびえ立つ人口160万人の大都市でしたが、自動車がようやく実用段階に入ったばかり、まだ馬車のほうが幅を利かせていた時代でもありました。そんなシカゴで、弁護士のポール・ハリスとその友人3人が、シカゴのダウンタウンにあるビルの一室に集まりました。ポール・ハリスはその一室で、それぞれの職業を通して得た経験や情報を共有する方法と、互いに協力しながら気取らない友情を深めるための簡単な計画を提示しました。それが、ロータリークラブの始まりです。
ロータリークラブの名前は当初、会員の事務所持ち回りで会合を開いていたことに由来します。

最初は、会員の友情と互恵的なビジネスがロータリークラブの中心テーマでしたが、1906年、弁理士のドナルド・カーターの入会によって、地域社会に貢献する活動を開始。当時、シカゴの街になかった公衆トイレを設置したり、貧民街に食べ物の詰まったバスケットを届けるといった活動を開始しました。
ロータリークラブはやがて海外へも広まり、発足12年後の1917年にはすでに、約300のクラブに約3万人の会員を擁するまでに成長していました。
このときの国際ロータリークラブ連合会(1923年、「国際ロータリー」に名称変更)会長のアーチ・クランフ氏が、国際大会で「ロータリー基金をつくり、全世界的な規模で、慈善、教育、その他社会奉仕の分野で、何か良いことをしようではないかと提案し、「ロータリー基金」(現、ロータリー財団)ができました。
最初に寄付された金額は、26ドル50セントでした。

1920年10月20日、米山梅吉によって、東京ロータリークラブが創られました。同クラブは、翌1921年4月1日、世界で855番目のクラブとして承認されました。
1923年9月、関東大震災によって東京と横浜は壊滅的な被害を受けましたが、このニュースを知った世界中のロータリークラブから、続々と義援金が寄せられ、その総額は8万9,000ドル(現在のお金に換算して約3億円)にも達しました。
東京ロータリークラブはこの義援金を、東京や横浜の小学校の再建、被災者の救援、殉職警官遺族への援助などに充てました。
世界中の仲間たちからの温かい支援を受け、東京ロータリークラブの会員たちは、初めてロータリークラブとはどういうものなのかを身にしみて理解し、この出来事がその後、日本のロータリークラブの会員たちが熱心に活動を続ける原点となったのです。

二つの世界大戦は、ロータリークラブに大きな試練を与えました。とくに、第二次世界大戦では、アメリカと敵対していた国々のロータリークラブが次々に解散に迫られ、それは日本のロータリークラブも例外ではありませんでした。
他国の会員たちがそうであったように、日本の会員たちも、ロータリークラブが解散しても、名前を変え、会合を持ち続けていました。東京ロータリークラブは水曜会、その他のクラブも例会を開催する曜日などにちなんだ名前をつけていました。
第2次世界大戦が終わると、戦時中脱会していた国々のロータリークラブが国際ロータリーに復帰します。日本のロータリークラブが復帰を認められたのは1949年のことです。その後、日本中にロータリークラブが創立されていきました。
男性だけでスタートしたロータリークラブですが、時代の変化に合わせ、1989年7月1日から、女性が入会できるようになりました。現在、世界では全会員の約15%、日本では約5%を女性会員が占めています。さらに、クラブの会長や幹事、国際ロータリーの要職を務める女性会員も多く見かけるようになりました。
2005年2月23日、ロータリーは創立100周年を迎えました。それを祝って多くの会員たちが実行したのは、華やかな創立記念のパーティーではなく、それぞれの地域に根差した活動でした。公園や里山に木々を植樹して環境保全に努めたり、図書館に本を送ったり、養護施設の子どもたちに必要なものを贈ったり、枚挙に暇がないほどの活動をしました。みなさまのお近くにも「ロータリー創立100年記念」といったプレートがあるかもしれません。
ロータリークラブの会員たちはこれを機に思いを新たにし、地域社会や世界中の人々のための活動を実施しています。


